2014年11月23日日曜日

【訃報】俳優の高倉健さん(83)が悪性リンパ腫で死去

高倉健さん死去、各界からお悔やみの声

2014年11月18日18:06



訃報です。日本を代表する俳優として映画界を支えてきた高倉健さんが亡くなりました。83歳でした。出演作は200本を超え、国際的にも評価が高かった高倉さん。各界からお悔やみのコメントが寄せられています。

日本映画界を代表する俳優、高倉健さん。自らを映画俳優と名乗り、銀幕で輝いた83年間の人生に幕です。

「日本人に生まれて本当に良かったと今日思いました。文化のために何をしたのかなという反省も大きくあります」(高倉健さん〔2013年〕)

所属事務所によりますと、高倉さんは次回作の準備中に体調不良で都内の病院に入院。治療を続けてきましたが、今月10日、息を引き取ったといいます。悪性リンパ腫でした。

「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし。生ききった安らかな笑顔でした」(所属事務所のコメント)

1931年に福岡県で生まれた高倉さんは55年、東映ニューフェース第2期生として採用され、恵まれた体格を生かしアクション映画や任侠映画で活躍しました。中でも「日本侠客伝」や「網走番外地」はシリーズ化され、一世を風靡しました。

東映を退社後の77年には、山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」に出演。刑務所帰りの男の哀愁を見事に演じ、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞しました。

「健さん僕と同じ年なんです。健さんが元気でいてくれることは、僕にとってどれだけ大きな励みであるか。だから健さんがまた仕事に入ると聞いたとき良かったと。僕もまた頑張れると思っていたので、健さんがいなくなったら本当に僕もすっかり気落ちしてしまいます」(山田洋次監督)

「弱さを我々には一切見せずに、美しく鮮やかな高倉健という 残像のみを残して、歩き去られて行かれた」(武田鉄矢さん)

89年にはハリウッド映画「ブラック・レイン」にも出演し実直な刑事を演じる姿が世界から称賛されました。寡黙で男気のある役柄にこだわり続けた高倉さん。そこにはある美学がありました。

「やっぱり自分を貫くってことですかね。簡単なようできっと一番難しいことだと思います」(高倉健さん〔1993年〕)

99年に公開された「鉄道員」では、ローカル駅の駅長が背負う孤独と夢を演じた姿が大きな感動を呼びました。20年ぶりに東映映画に出演したこともあり、日本アカデミー賞の授賞式では、言葉を詰まらせました。

「日本アカデミー賞の主演男優賞、これで4度頂きました。何度頂いてもうれしいです。また頂けるように一生懸命やりたいと思います」(高倉健さん)

そして最後の主演となったのが、おととし公開された「あなたへ」。刑務所で技官として働く男が妻の遺言に沿って旅をする物語。モントリオール世界映画祭では拍手が鳴り止みませんでした。

高倉さんは、ロケ地の富山刑務所を訪ねて受刑者を激励しました。
「自分は日本の俳優では一番多く皆さんのようなユニフォームを 着た役をやった俳優だと思っております。一日も早く出所されてください。あなたにとって大切な人のところへ帰ってあげてください」(高倉健さん〔富山刑務所・2012年〕)

200本を超える映画に出演してきた高倉さんは、その功績が高く評価され、去年、文化勲章を受章しました。

「一生懸命やっているとちゃんと見ていてもらえるんだなと、素直にそのことを思いました。映画俳優で一人と言われるとうれしいよりも、責任重大だなという気持ちの方が強いですね」(高倉健さん〔2013年の文化勲章受章時〕)

数多くの作品を一緒に手がけ、次回作を準備していた降旗康男監督は・・・
「残念のひと言です。来春の撮影を楽しみにしていましたが、できなくなってしまいました。無念です」(降旗康男監督)

「寡黙なところが私にとっては魅力的だった。俺もこういうふうになりたいとか、健さんのセリフの言い方とかまねをした」(梅宮辰夫さん)

映画にこだわり、映画に捧げた83年間の人生。銀幕の大スターはスクリーンの中で輝き続けます。

参照元 : TBSニュース


83歳でしたか・・・ 心よりお悔やみ申し上げます。

日本を代表する大物俳優がいなくなりました。





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