2016年5月28日土曜日

NYで行われたラッパーT.I.(35)のコンサート中に発砲事件 1人死亡、3人重体

ラッパーT.I.のニューヨーク公演で発砲事件、死亡者もいる模様

2016/5/27 17:05



ニューヨークで行われていたラッパーのT.I.(35)のコンサートで25日、死者1名、負傷者3名を出す発砲事件が起こった。マンハッタンのユニオンスクエアに程近いアービング・プラザでT.I.がまさにステージに登場しようとしていた現地時間午後10時15分頃、男が銃を発砲してファン1名を死亡させ、他3名に怪我を負わせたという。

同市警察のウィリアム・オーブリー氏は、記者会見で「予備調査により、3階のグリーンルーム付近で発砲されたことが明らかになりました。発砲時には、メイノー&アンクル・マーダの2人がステージでパフォーマンスしていました」と発砲があったことを認めている。

警察当局は、34歳の男性2人がそれぞれ胸と腹部に銃弾を受けたとし、2人とも近くの病院に運ばれたものの、1人は息を引き取り、もう1人は重体だとしている。ニューヨークを拠点にラッパーとして活動するトロイ・エーヴと26歳の女性も両者足に銃弾を受けたようだが、幸いにも容態は安定しているといわれている。犯人の動悸は明らかになっていないが、T.I.が事件が起こった際にその会場に居たことは確かだ。

その日の午後11時以降に、同市の警察がツイッターで「現場は今安全です。現場に近づかないようご協力ください」と情報を発した。公演を観にきていた20代のファンはローリング・ストーンズ誌に事件時の状況をこう説明している。

「私達は一階部分のステージドアから3列目のところにいました。VIPセクションのある右側のバルコニーからガタガタっと大きな音が聞こえました。2発聞こえました。何人かは『ただの喧嘩だよ』と言っていましたが、約30秒経った時、はっきりと発砲音を何度も聞きました。全員がこれまで見たことのない様子で逃げていました」

現在までT.I.から正式なコメントはまだ出ていない。

参照元 : デイリーニュースオンライン


T.I.



T.I.(T.I.、ティーアイ、本名:クリフォード・ジョセフ・ハリス・Jr. 1980年9月25日 - )はアメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のラッパー、作詞家、俳優、音楽プロデューサー、エグゼクティブプロデューサーである。グランド・ハッスル・レコードの最高経営責任者でもある。T.I.P.というオルター・エゴを自分の曲の中で演じることがある。ファンの間では、名前の「T.I.P.」は「Ten Inch Playa」の略だと言われている。

自身のことを『キング・オブ・ザ・サウス(南部の王)』と呼ぶことで有名。また、ラッパーファレル・ウィリアムスには、『サウスのジェイ・Z』と才能を称えられたことがある。

バイオグラフィー
アトランタのバンクヘッドで生まれる。デビュー当時はステージネームを”T.I.P.”とするつもりだったが、彼が尊敬していたラッパーの一人、Q-ティップ(Q-Tip)と名前が重なるため、Pをとって”T.I.”に変更した。ちなみに、彼が尊敬しているラッパーは他にも、ジェイ・Z、2パック、スカーフェイス、アイス・キューブ、アウトキャストのアンドレ3000などがいる。

キャリア
2001年のファーストアルバム『アイム・シリアス』はあまり注目を浴びなかったものの、セカンドアルバム『トラップ・ミュージック』がヒップホップ・アルバムとして高い評価を受け、またプラチナ・セールスを獲得したことや、その後の数々の客演によってしだいに注目を浴びるようになる。

2003年に、デスティニーズチャイルドのシングル『ソルジャー』で客演を務めたことで、実力を証明することに成功する。

2004年にリリースされたアルバム『アーバン・レジェンド』のファーストシングル『ブリング・エム・アウト』は、日本においてもクラブ・バンガーとして絶賛される。

2006年には『キング』がビルボードのチャートで#1となり、また一週目で522,000枚という記録的なセール枚数を出した(『キング』は2006年で最も売れたヒップホップアルバムとなる)。その後の、映画「ATL」での主演や、『マイ・ラブ(ジャスティン・ティンバーレイク)』や『ラヴィン・ユー・ロング・タイム リミックス(マライア・キャリー)』などのヒット曲での客演により、T.I.はヒップ・ホップ界の最重要人物の一人となった。

2007年に5枚目のアルバム『T.I. vs T.I.P.』をリリース。[インターネットの普及などによりヒップ・ホップアルバムの売り上げが低下している中、プラチナ・セールスを獲得した。しかし、同じ年に銃やサイレンサーなどの違法取引容疑で逮捕される。2007年10月26日、300万ドル(約3億3,000万円)の保釈金を支払い釈放された。

2008年、T.I.は逮捕による自宅監禁の後、1500時間に及ぶ社会奉仕活動と共に6枚目のアルバム『ペーパー・トレイル:真実の行方』にとりかかった。ファーストシングル『ホワットエヴァー・ユー・ライク』は全米チャートで1位にはい上がり、その後わずか6週で、5枚目のシングル『マイアヒ・ライフ』が全米1位となりT.I.の名を歴史に残した。また、『ペーパー・トレイル:真実の行方』は、『トラップ・ミュージック』や『キング』と並んで完成度の高いヒップ・ホップアルバムとして評価を受けた。

2009年の3月、T.I.は武器の違法取引の刑罰として、懲役366日の刑を言い渡され、同時に約10万ドルの罰金を支払った。彼は服役し、2010年3月に釈放された。

2010年8月、製作に関わった映画『テイカーズ』がアメリカで公開された。しかし、9月には、妻タメカと共にドラッグ所持容疑で再逮捕される。『テイカーズ』と公開と同時期にリリースされると見られていたアルバム「キング・アンケイジド」は「ノー・マーシー 非情のストリート」にタイトルを変更し、2010年12月にリリースされた。

ビーフ
ギャングスタ・ラップをメインに活動し、「キング・オブ・ザ・サウス」と自称するT.I.は、常に様々なギャングスタ・ラッパーとのビーフに巻き込まれていた。主なビーフ相手には、リュダクリス、リル・フリップ、ショーティー・ローがいる(皆サウスのラッパー)。

リュダクリス
T.I.とリュダクリスの二人は、Gユニットのラッパーヤング・バックのアルバムに収録される『ストンプ』という曲へゲストとして招待される予定であった。しかし、後日T.I.の部分がザ・ゲームと置き換えられてしまう。そのため、T.I.はリュダクリスを中傷したバースを収録(オリジナルバージョンで聴取可能)。その後、リュダクリスのレーベルDTPのラッパーI-20のビデオに”トラップ・ハウス”と書かれた服を着た男が討たれるシーンがあることにT.I.が激怒する(T.I.は、自身のアルバム名”トラップ・ミュージック”に由来すると主張)。ビーフはここからスタートした。

2007年の6月、カリフォルニアのサンセット・タワーで、リュダクリスのマネージャーであるシャカ・ズールーがT.I.に殴られる事件が起こる。T.I.はその後のBET授賞式の場を借りて、騒ぎを起こしたことを謝罪した。それよりT.I.とリュダクリスの仲は改善し、2008年の二人のアルバムにはお互いがゲスト・アーティストとして参加している。

リル・フリップ
AllHipHopによると、T.I.は、リル・フリップの郷里であるヒューストンのクローバーランドにおいてフリップの取り巻きといざこざがあったという。T.I.はその時、リル・フリップを詐欺の理由で探究するDVDの制作に取りかかろうとしていた。しかし、彼はそこでリル・フリップの一味との鉢合わせに合い、T.I.のボディーガードの一人が銃を発射したことから口論が始まった。同じ日に、T.I.はヒューストンのラジオステーションでリル・フリップとの口論について説明、さらに彼がフリップをターゲットにしたミックステープを用意しているとまで発表した。そのミックステープは後日、ラップ・ア・ロットレコードのCEO、Jプリンスによってリリースを中断させられ、同時にビーフも彼を仲立ちにして和解に向かった。

ショーティー・ロー
2008年にT.I.は、一躍注目浴びたショーティー・ローとの激しいビーフに巻き込まれる。 ビーフは、ショーティー・ローがセカンドシングル『ドゥン・ドゥン』をリリースしてから形となった。彼はその曲においてT.I.が出身地をバンクヘッドだと自称していることに対し疑問を投げかけ、その後信憑性が薄いとしてリサーチに乗り出した。これに対してT.I.は、シングル『ホワット・アップ・ホワッツ・ハプニング』のビデオを、ショーティー・ローの本拠地であるボーウェン・ホームス公営住宅で撮影した。

ビーフはその後、両陣営がダーティー・アワードにおいて衝突し、セレモニーを中止に追い込んだ所でクライマックスを迎えた。ビーフは3月7日にT.I.の「お別れ会」(T.I.の懲役によるもの)においてショーティー・ローが出席したことで和解が確定された。T.I.によると、両者の関係は、メディアが騒ぎたてたことで悪化したように見えただけであり、「ビーフではなかった」という。

参照元 : wiki/T.I.

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