土井たか子さんが死去 福島みずほ氏「本当にショック」
2014年09月28日 15時03分
元社民党党首の土井たか子さん(享年85)が20日に肺炎のために亡くなっていたことが分かった。報道は28日だった。これを受け、社民党前党首の福島みずほ氏がツイッターで土井さんに対する思いを連続ツイートしている。
“護憲を貫き、女性政治家として、政治家として、戦後政治を牽引してきた人生でした。わたしは、1998年立候補を説得され、憲法を守るために立候補を決意しました。政治の母親が亡くなったようで、本当にショックです”
“土井さんは、ダメなものはダメとはっきりしていました。また、自分の利害や損得というこは全く考えず、護憲と人々のために生きた人です。尊敬しています。最後まで、憲法と日本の行く末を案じていました。わたしは、土井チルドレン。政治の母の遺志をついでいきます”
さらには、土井さんが歌が上手だったことや、街頭演説が素晴らしかったことなどを報告し、故人を偲んでいる。
参照元 : アメーバニュース
社民党元党首 土井たか子氏死去
2014年9月28日 20時26分
女性として初めて衆議院議長を務めた、社民党の元党首の土井たか子氏が死去しました。
85歳でした。
土井氏は昭和3年、神戸市に生まれ、大学で憲法学の講師を務めた後、昭和44年の衆議院選挙に旧兵庫2区で旧社会党から立候補して初当選し、連続12回当選しました。この間、土井氏は昭和61年に旧社会党の委員長に就任し、平成元年の参議院選挙では、「ダメなものはダメ」という言葉で「反消費税」を掲げ「マドンナ旋風」「おたかさんブーム」を巻き起こし、自民党を過半数割れに追い込みました。
このときの与野党逆転について土井氏は「山が動いた」という名文句を残しました。翌平成2年の衆議院選挙でも「土井ブーム」は続き、旧社会党は議席を大幅に増やしましたが、続く平成3年の統一地方選挙で惨敗した責任をとって、土井氏は党の委員長を辞任しました。
また平成5年に非自民連立政権の細川内閣が発足すると、女性としては憲政史上初の衆議院議長に就任し、議員の名前に従来の「君」ではなく「さん」をつけて呼ぶなど話題を集めました。その後、旧社会党は、自民党、新党さきがけの3党による連立政権を発足させ、平成8年には党名を社民党に変え、土井氏は村山富市元総理大臣のあとを受け、社民党の党首に就任します。
平成10年に自民党との連立政権を離脱したあとは、護憲や政治倫理の確立など党の主張を前面に打ち出して党勢の回復に努めました。しかし、こうしたさなか秘書給与をめぐる詐欺事件で秘書が逮捕されます。そして平成15年の衆議院選挙で、社民党が大幅に議席を減らした責任をとり、党首を辞任しました。
平成17年の、いわゆる「郵政解散」に伴う衆議院選挙では、比例代表近畿ブロックで立候補しましたが議席を得ることができず、政界の一線から退きました。土井氏は病気で療養していましたが、今月20日、亡くなりました。85歳でした。
「土井さんのような政治家もう出ないのでは」
村山富市元総理大臣はNHKの取材に対し、「西のサッチャー、東の土井さんと言われるくらい支持を受け、社会党の活動のなかでも大衆的なブームを作り出したのは土井さんが初めてだったのではないか。『ダメなものはダメ』と言う強さがあり、見えないところで努力をする人だった」と述べ、その人柄をしのびました。
そのうえで村山氏は「土井さんのような政治家はもう出ないのではないか。亡くなられたことは残念で、党のみなさんにはその志を引き継いでほしい」と話していました。
「志を引き継いで頑張っていきたい」
社民党の吉田党首はNHKの取材に対し、「憲政史上初の女性の衆議院議長を務めるなど、日本の政治史に大きな足跡を残された。『山が動いた』という発言はインパクトがあり、まさに政治の一時代を築いた人物だ。党首として一度お会いし、これからの社民党の在り方についてお話を伺いたかったが、それがかなわず残念だ。護憲や人権擁護といった土井氏の志を引き継いで頑張っていきたい」と述べました。
「私にとって政治の母のような存在」
社民党の福島副党首は東京都内で記者団に対し、「土井氏は戦後政治をけん引してきた人で、とりわけ女性政治家として傑出した存在だった。『山が動いた』と発言したときの力は大きく、政治がぐっと身近になったことを覚えているし、私にとって政治の母のような存在だった。これから護憲が本当に大切な時代になるので、もっと長生きして欲しかったが、われわれが土井氏の遺志を継いで護憲の立場で頑張っていきたい」と述べました。
「憲法と日本の行く末気にかけていた」
社民党の又市幹事長は東京都内で記者団に対し、「土井氏は憲法と日本の行く末を最後まで気にかけていた。『社民党は小さくなったが頑張れ』と党の奮起を願っておられたと聞いて胸が熱くなった。土井氏の遺志を継いでしっかり頑張っていくので、安らかにお眠りいただきたい」と述べました。
「憲政へのご貢献に敬意」
伊吹衆議院議長は、「『女性初』という枕ことばが最もふさわしくないのが土井議長だろう。適任の方が推戴(すいたい)され、それが結果として女性初の土井たか子議長だった。ご生前の憲政へのご貢献に敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りする」というコメントを出しました。
参照元 : NHKニュース
土井 たか子(どい たかこ、土井 多賀子、1928年11月30日 - 2014年9月20日)は、日本の政治家、法学者。兵庫県神戸市出身。愛称はおたかさん。 衆議院議長(第59代)、日本社会党委員長(第10代)、社民党党首(第2代)、衆議院議員(12期)などを歴任。 日本において、女性初の衆議院議長と政党党首を務めた。
参照元 : wikiペディア
ツイッターの反応
2014年09月28日 15時03分
元社民党党首の土井たか子さん(享年85)が20日に肺炎のために亡くなっていたことが分かった。報道は28日だった。これを受け、社民党前党首の福島みずほ氏がツイッターで土井さんに対する思いを連続ツイートしている。
“護憲を貫き、女性政治家として、政治家として、戦後政治を牽引してきた人生でした。わたしは、1998年立候補を説得され、憲法を守るために立候補を決意しました。政治の母親が亡くなったようで、本当にショックです”
“土井さんは、ダメなものはダメとはっきりしていました。また、自分の利害や損得というこは全く考えず、護憲と人々のために生きた人です。尊敬しています。最後まで、憲法と日本の行く末を案じていました。わたしは、土井チルドレン。政治の母の遺志をついでいきます”
さらには、土井さんが歌が上手だったことや、街頭演説が素晴らしかったことなどを報告し、故人を偲んでいる。
参照元 : アメーバニュース
社民党元党首 土井たか子氏死去
2014年9月28日 20時26分
女性として初めて衆議院議長を務めた、社民党の元党首の土井たか子氏が死去しました。
85歳でした。
土井氏は昭和3年、神戸市に生まれ、大学で憲法学の講師を務めた後、昭和44年の衆議院選挙に旧兵庫2区で旧社会党から立候補して初当選し、連続12回当選しました。この間、土井氏は昭和61年に旧社会党の委員長に就任し、平成元年の参議院選挙では、「ダメなものはダメ」という言葉で「反消費税」を掲げ「マドンナ旋風」「おたかさんブーム」を巻き起こし、自民党を過半数割れに追い込みました。
このときの与野党逆転について土井氏は「山が動いた」という名文句を残しました。翌平成2年の衆議院選挙でも「土井ブーム」は続き、旧社会党は議席を大幅に増やしましたが、続く平成3年の統一地方選挙で惨敗した責任をとって、土井氏は党の委員長を辞任しました。
また平成5年に非自民連立政権の細川内閣が発足すると、女性としては憲政史上初の衆議院議長に就任し、議員の名前に従来の「君」ではなく「さん」をつけて呼ぶなど話題を集めました。その後、旧社会党は、自民党、新党さきがけの3党による連立政権を発足させ、平成8年には党名を社民党に変え、土井氏は村山富市元総理大臣のあとを受け、社民党の党首に就任します。
平成10年に自民党との連立政権を離脱したあとは、護憲や政治倫理の確立など党の主張を前面に打ち出して党勢の回復に努めました。しかし、こうしたさなか秘書給与をめぐる詐欺事件で秘書が逮捕されます。そして平成15年の衆議院選挙で、社民党が大幅に議席を減らした責任をとり、党首を辞任しました。
平成17年の、いわゆる「郵政解散」に伴う衆議院選挙では、比例代表近畿ブロックで立候補しましたが議席を得ることができず、政界の一線から退きました。土井氏は病気で療養していましたが、今月20日、亡くなりました。85歳でした。
「土井さんのような政治家もう出ないのでは」
村山富市元総理大臣はNHKの取材に対し、「西のサッチャー、東の土井さんと言われるくらい支持を受け、社会党の活動のなかでも大衆的なブームを作り出したのは土井さんが初めてだったのではないか。『ダメなものはダメ』と言う強さがあり、見えないところで努力をする人だった」と述べ、その人柄をしのびました。
そのうえで村山氏は「土井さんのような政治家はもう出ないのではないか。亡くなられたことは残念で、党のみなさんにはその志を引き継いでほしい」と話していました。
「志を引き継いで頑張っていきたい」
社民党の吉田党首はNHKの取材に対し、「憲政史上初の女性の衆議院議長を務めるなど、日本の政治史に大きな足跡を残された。『山が動いた』という発言はインパクトがあり、まさに政治の一時代を築いた人物だ。党首として一度お会いし、これからの社民党の在り方についてお話を伺いたかったが、それがかなわず残念だ。護憲や人権擁護といった土井氏の志を引き継いで頑張っていきたい」と述べました。
「私にとって政治の母のような存在」
社民党の福島副党首は東京都内で記者団に対し、「土井氏は戦後政治をけん引してきた人で、とりわけ女性政治家として傑出した存在だった。『山が動いた』と発言したときの力は大きく、政治がぐっと身近になったことを覚えているし、私にとって政治の母のような存在だった。これから護憲が本当に大切な時代になるので、もっと長生きして欲しかったが、われわれが土井氏の遺志を継いで護憲の立場で頑張っていきたい」と述べました。
「憲法と日本の行く末気にかけていた」
社民党の又市幹事長は東京都内で記者団に対し、「土井氏は憲法と日本の行く末を最後まで気にかけていた。『社民党は小さくなったが頑張れ』と党の奮起を願っておられたと聞いて胸が熱くなった。土井氏の遺志を継いでしっかり頑張っていくので、安らかにお眠りいただきたい」と述べました。
「憲政へのご貢献に敬意」
伊吹衆議院議長は、「『女性初』という枕ことばが最もふさわしくないのが土井議長だろう。適任の方が推戴(すいたい)され、それが結果として女性初の土井たか子議長だった。ご生前の憲政へのご貢献に敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りする」というコメントを出しました。
参照元 : NHKニュース
土井 たか子(どい たかこ、土井 多賀子、1928年11月30日 - 2014年9月20日)は、日本の政治家、法学者。兵庫県神戸市出身。愛称はおたかさん。 衆議院議長(第59代)、日本社会党委員長(第10代)、社民党党首(第2代)、衆議院議員(12期)などを歴任。 日本において、女性初の衆議院議長と政党党首を務めた。
参照元 : wikiペディア
ツイッターの反応
【訃報】「ダメなものはダメ」土井たか子・元衆院議長が死去 http://t.co/0mefEXUhnp pic.twitter.com/c8GfCOX1HR
— ハフィントンポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2014, 9月 28
【画像】土井たか子氏が死去 「山が動いた」参院選大勝などの場面を http://t.co/0mefEXUhnp pic.twitter.com/cJyppZthzg
— ハフィントンポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2014, 9月 28
土井たか子さんが東京練馬区で講演してたのを中継しYouTubeにアップしてたけど消されたみたい。Ust録画を見てたら、福島原発事故前後の私達の活動があったのでアップ「小沢冤罪
https://t.co/Fge4msr0Jg
原発事故
https://t.co/Cxko98OOII
— 服部順治(脱戦争/脱原発) (@JunjiHattori) 2014, 9月 28
百田尚樹の下記のツイートはひどすぎる。
こんな人間に公人の発言をさせてはならない。
土井たか子は完ぺきではなかっただろうが
歴史に残る尊敬できる政治家だ
https://t.co/OipfAt3Tpg
https://t.co/SDrV4hM4KV
— 紅茶にMILK (@milkteaemon) 2014, 9月 28
@mizuhofukushima 土井たか子さんは日本の政治に女性の声を反映させた第一人者だと思います。土井さんがいなかったら今でも日本の国会は99%が男性議員に埋め尽くされていたと思います。心よりご冥福をお祈りするととともに、心から感謝しています。
— きっこ (@kikko_no_blog) 2014, 9月 28
土井たか子元衆院議長のご冥福を心からお祈り申し上げます。
— 三宅雪子(前衆議院議員) (@miyake_yukiko35) 2014, 9月 28
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