2014年9月11日木曜日

やしきたかじんさん、死後に妻が骨を拾いながら「マカロンみたい!」と爆笑していた?たかじんは在日韓国人二世だった?

やしきたかじん(故人)の奥さんは、たかじんのお骨を拾いながら「マカロンみたい!」と爆笑して、娘と揉めたと週刊誌に書かれていた。この話が本当なら奥さん酷い。







なんと、やしきたかじんさんは在日だった!?奥さんも韓国系か?


やしきたかじんさんの隠された出自とは~あるジャーナリストの覚悟

2014年9月8日(月)18時13分配信



なるほど、ただの評伝ではなかった。小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞し、9月11日に小学館から出版される「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」のことだ。

著者は大阪在住のフリージャーナリスト、角岡伸彦氏。自身が被差別部落出身であることを公表し、単行本ではデビュー作「被差別部落の青春」(1999年、講談社)から、2011年に講談社ノンフィクション賞を受賞した「カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀」まで、足元からの目線で一貫して『差別』と向き合ってきた。その角岡氏が初めて芸能人を描いた。なぜ『やしきたかじん』だったのか。それはタブー視されてきたカリスマの“出自”に踏み込んだものだった。

角岡氏は89年から93年まで神戸新聞社に在籍。姫路支社の記者から神戸本社の整理部に異動して見出しやレイアウトを担当しつつ、音楽に魅せられてアパルトヘイト廃止後の南アフリカを旅し、黒人居住区を歩いて見た人模様を夕刊で連載したり…。1年遅れで入社した私は、そんな“自由人”の姿を隣の部署からながめていた。

個人的なお薦めは2作目の「ホルモン奉行」(03年、解放出版社~現在は新潮文庫)。日本、韓国から世界各国のホルモン料理を自分の足と舌とポップな筆致で追究したグルメ本として楽しみながら、臓物という食品が生産される地域や背景が自然と気になってくる。声高に何かを訴えなくとも、その行間から“分かる人には分かる”ことがジワリと伝わるし、その時はピンとこなくても、ヨダレをたらしながらハフハフと読んだ後になって、「あ、アレって、そういうことやったんや…」と気づかせる。そんな本も書いた人だ。

閑話休題。8月末に都内で行われた贈呈式に伺った。角岡氏はツボを押さえた漫談調の関西弁トークで東京の業界人を沸かせ、落語でいう“マクラ”の部分だけで「受賞者あいさつ」の予定時間を越えてしまった。選考委員の作家・椎名誠氏は「テレビでしゃべるとか、別の方向があるんじゃないですか?」と、なぜかタレント性を評価(?)。それはさておき、壇上のスピーチは想定外の“延長戦”に入り、そこで本書の核心が語られた。

角岡氏が「やしきたかじんさんの父は在日韓国人1世で…」と、これまで公には語られてこなかった文言を発した瞬間、会場の空気がキュッと引き締まった。さらに同氏は言葉を続けた。「(世の中で)あまり知られていないこと、たかじんさんが隠していたことを書くということは、すごいプレッシャーでした。僕自身は部落出身ですが、人のルーツを書く時はナーバスにならざるを得ない」。99年に死去した実父の周辺取材は難航したという。今年1月3日のたかじんさん死去以降に取材を始め、応募締め切りが4月というタイトな日程。さまざまな制約もあり、踏み込めなかった部分もあって大賞は逃した。

選考委員のノンフィクション作家・高山文彦氏は「本当に残念でした!」とウイットに富んだ表現で労をねぎらいつつ、「在日韓国人2世(※将来を案じた父の配慮から日本人である母の籍に入ったため日本国籍。『家鋪』は母方の姓)のやしきたかじんという人物と彼を強大な力で抑えていた実父の、いわば『血と骨』の物語、それが描けていれば本賞の枠を飛び越えて、とてつもない傑作になっていただろう。取材を重ねて世の中に出していかれることを期待したい」と、ビートたけし主演、崔洋一監督で映画化された、梁石日(ヤン・ソギル)氏の自伝的小説「血と骨」にイメージを重ねた。角岡氏は「アニキ」と呼ぶ高山氏の言葉通り、応募後も数か月の取材を重ね加筆した。

そんなやりとりを耳にしているうちに、79年頃の記憶がよみがえった。三十路になるかならないかのたかじんさんがMBSのヤンタン(関西在住の10代にとって“義務教育”のようなラジオ番組「ヤングタウン」の愛称。たかじんさんは83年までパーソナリティーを務めた)で、実父との確執を語っていたことを思い出したのだ。学生時代、新聞記者志望を父に告げた際、突き放すような敬語を交えて頭から全否定された場面を、たかじんさんは父の口調をまねて再現していた。青年期のルサンチマン(この場合は父という絶対者への憎悪であり、同時にそれは音楽を選んだ表現者にとって不可欠な要素、動機付けになったと思う)にあふれていたが、出自については全く触れられることはなかった。

式後のパーティーで角岡氏に声を掛けた。神戸新聞時代の昔話もそこそこに、たかじんさんの出自について改めてうかがうと…。「周囲はそのことを知っていたが、最後まで公にされなかった。自身の番組で“在日”を取り上げた際、在日韓国人のパネラー(例えば前述の崔監督)を迎えたことがあり、その時、本人も名乗るチャンスはあったのに、できなかった」。だからこそ、“それ”を初めて書くプレッシャーと同氏は格闘した。

では、なぜ、そこまで掘り下げたのか。それは「歌手としてのやしきたかじんを再評価したい」という思いからだったという。実はそれこそが本書の大きなテーマだ。出自にまで触れたのは、彼の「歌」に結びつく原点の1つとして描かねばならなかったからだろう。何よりも、本書のタイトル「ゆめいらんかね」は「家鋪隆仁」名義で自身が作曲し、キングレコードの「ベルウッド」レーベルから76年10月21日に発売されたデビュー・シングルの曲名である。同日発売のファースト・アルバム「TAKAJIN」の5曲目にも収録されており、当時、たかじんさんは27歳になったばかりだった。

「ベルウッド」といえば、高田渡、はっぴいえんど~細野晴臣&大瀧詠一のソロ、あがた森魚、友川かずき(現カズキ)、遠藤賢司、三上寛…といった唯一無二の顔ぶれが群雄割拠した伝説のレーベル。後に「やっぱ好きやねん」「東京」といったヒット曲を飛ばし、政界にも影響を及ぼしたカリスマ司会者と彼らの音楽性は今でこそ交わる要素を全く感じさせないが、モハメド・アリとアントニオ猪木が日本武道館で戦ったあの年、「1976年のやしきたかじん」はその延長線上にいたシンガー・ソングライターだったのだ。

角岡氏は言う。「9・11という日に本を出す。(01年の同時多発)テロとは全く関係ないですが、僕にとってはハラハラドキドキ。本人が隠してきたことを僕が書いてしまうことに怖い部分もあります。でも、それ(出自)をバネにして彼は歌手として頑張ったんですから」。果たして、たかじんさんの出自と歌のつながりとは…。こちらも覚悟をもって、本書を手に取りたい。

(デイリースポーツ・北村泰介)

参照元 : デイリースポーツ




”角岡氏が「やしきたかじんさんの父は在日韓国人1世で…」と、これまで公には語られてこなかった文言を発した瞬間、会場の空気がキュッと引き締まった。”

<ネットユーザーの反応>
「大体知ってた」

「やっぱりなw」

「帰化人なのか?在日二世なのか?」

「日本人は味の素が無いぐらいでスタッフにブチギレたりしないしな」

「よく味の素無くてファビョってたもんな」

「本人が言ったわけじゃないから実際どうなのか分からないな」

「大阪では有名な話だけどな。今更感が凄いw」

「K-POOPを異常にゴリ押してたからなw」

「テレビはマジで多いんだな」

「顔に特徴あるからだとおもたわ」

「事実でも、意外性がいまいち無い」

「顔見りゃ一発だろ」

「本人死んだ後に出てもなぁ…」

「中国批判ばっかりで韓国には触れなかったからな」

「帰化はしてたんだろ。」

「本人隠してたんだろ。バラすにしても早すぎ」


2014年9月9日火曜日

交通事故で意識不明の重体となっていた韓国の5人組ガールズグループLADIES’ CODEのリセさんが死去

韓国女性グループ交通事故 重体の在日メンバー死去

2014年9月7日(日)13時2分配信



【ソウル聯合ニュース】3日に交通事故に遭い意識不明の重体となっていた韓国の5人組ガールズグループLADIES’ CODEのリセ(本名クォン・リセ)さんが7日午前10時10分ごろ、入院先の京畿道水原市内の病院で死去した。23歳だった。

リセ(LADIES’ CODE)のプロフィールと写真

所属事務所は「事故で頭部を負傷したリセは長時間にわたる手術と治療を受けたが息を引き取った。両親と事務所関係者にみとられながら最期を迎えた。申し訳なさと悲痛な思いを禁じ得ない」とコメントした。

在日韓国人のリセさんは2009年にミスコリア選抜大会で海外同胞賞を受賞。2010~2011年に放送されたMBCのオーディション番組に出演し話題を集めた。2013年にLADIES’ CODEのメンバーとしてデビューした。

LADIES’ CODEは韓国南東部の大邱市で2日に音楽番組の収録を終え、ソウルに戻る途中に事故に遭った。3日午前1時半ごろ、ソウル近郊の京畿道竜仁市の嶺東高速道路で、乗っていたワゴン車が路肩の防護壁に衝突。メンバーのウンビさんが死亡し、リセさんのほかソジョンさんが負傷した。

参照元 : 聯合ニュース


事故で死亡したLADIES’ CODEリセさん、日本で納骨へ

2014年9月8日(月)19時21分配信



3日未明に交通事故に遭い、7日午前に死亡した韓国の5人組人気ガールズグループ、LADIES’ CODEの在日韓国人メンバー、リセさん=本名クォン・リセ、享年23=の納棺式が8日午前、ソウル市の高麗大学安岩病院葬儀場でしめやかに営まれた。

複数の韓国メディアが報じたところによると、式には、遺族をはじめ、知人、所属事務所関係者らが出席し、深い悲しみに包まれる中、リセさんに別れのあいさつを行った。9日午前9時から出棺礼拝、同9時半から出棺式が行われ、その後、リセさんの遺体はソウル追慕公園で荼毘(だび)に付される。

所属事務所関係者によると、出棺式には顔を骨折し、手術を受けたソジョンさん(21)=本名イ・ソジョン=さんや比較的軽傷だったアシュリーさん(22)=本名チェ・ビンナ=とジュニさん(19)=本名キム・ジュミ=も参列する予定という。また、韓国で葬儀を終えた後、リセさんの遺骨は日本に戻り、日本にいる親族や知人、友人らによってもう一度葬儀が行われた後、日本で納骨されるという。

リセさんらLADIES’ CODEは、大邱(テグ)市内でのスケジュールを終えてソウルに戻る途中だった3日午前1時30分ごろ、京畿道竜仁市の嶺東高速道路の新葛ジャンクション付近で、乗っていた車の後輪がはずれ、数回回転した後、防護壁に激突する事故に遭った。

この事故で、頭部などに大きなけがを負ったリセさんは意識不明の重体となり、約11時間にわたって手術を受けたが、血圧が低下し、脳の腫れがひどかったため、手術が中断。その後は、一度も意識が回復することはなく、7日午前10時10分ごろ、静かに息を引き取った。メンバーのウンビさん=本名コ・ウンビ、享年21=も死亡している。

リセさんは在日韓国人で、2009年、ミスコリア日本グランプリに輝き、11年に韓国のオーディション番組「偉大な誕生」に出演して注目された。その後、人気バラエティー番組「私たち結婚しました」にも出演。昨年3月に、LADIES’CODEのメンバーとしてデビュー。「Pretty Pretty」「So Wonderful」などをスマッシュヒットさせ、今年8月7日には新曲「KISS KISS」を発売、カムバックしたばかりだった。

参照元 : サンケイスポーツ


ウンビさんに続き、意識不明の重体だったリセさんまで逝ってしまった・・・

これは大変悲しい出来事です。メンバーが二人も亡くなるという悲劇。しかも交通事故の原因が運転操作のミスではなく、高速を走行中に車の後輪が外れるというトンデモないトラブル。

車種はなんと数々の欠陥が指摘されるヒュンダイ車。

整備不良でしょうか?タイヤのネジが緩んでいたのか?それともネジが折れたのか?リセさんは韓国生まれではなく日本生まれの在日韓国人だったんですね。


2014年9月6日土曜日

俳優の金子賢さん、アメブロで本名をばらす?帰化してなかった!

金子賢さんのアメブロより

さて何処へ

成田なうw



さて行って来ます^ ^行き先は



金子賢オフィシャルブログ


金子賢さん、帰化してなかったんですね。しかし凄い身体です。プライドに参戦した時の発表が183cm72kgだったけど、現在はもっと体重が増えてるのか?

金子賢の胸筋がスゴいことに!ファンからも驚きの声

2014年9月5日 12時55分


先月行われた「ベストボディ・ジャパン2014東京大会」で見事優勝を果たした俳優・金子賢が4日、ブログを更新。以前よりもさらに体が大きくなっているとファンから驚きの声が上がっている。

【写真】高須院長もマッチョボディー!?

 

この日、金子は「さてさて今日も胸下部と三頭を 下部と足は徹底的にやっていきます^ ^」とトレーニング中の自身の写真を公開。東京大会のときよりも腕や胸をはじめ、上半身全体がますます大きくなった印象で、「デカく見えるけど72キロ^ ^ よしよし」と12月に行われる日本大会に向けて順調にトレーニングを重ねているようだ。

これには読者からも「賢君デカイ!!!」「胸ヤバイっ」「腕も胸も凄い!」「ますます体がデカくなってる」といったコメントが多く寄せられている。(編集部・中山雄一朗)

参照元 : シネマトゥデイ

<ネットユーザーの反応>
「知ってた」
「あらら、ガチだったかw」
「広末の噂の時から知ってた」
「実家がパチンコ屋で、名字が金子で、親父が西城秀樹と親友」
「こいつ自ら公表したのは初だったのか」
「本当多いんだな芸能界って」
「とうとう隠す気すらなくしたか」
「金と張はガチ」
「キッズリターンとPRIDEで前田日明にぶちギレされた事しか知らない」
「えっ!?兵役は???」
「芸能界なんて在日だらけやん。何を今更」
「特有の卑屈な雰囲気があるから可能性高いと思ってた」