女優の樹木希林さんが死去 75歳 2012年に「全身がん」公表
2018/9/16(日) 16:50配信
「全身がん」を公表していた女優の樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子)さんが15日に死去したことが16日、分かった。75歳だった。シリアスからコメディまでこなせる個性派俳優として活躍する一方、2012年に、がん体質であることを指す「全身がん」を公表。04年の乳がん発症以降、約20か所のがんと闘ってきたが、ついに帰らぬ人となった。
20代からおばあちゃんを演じ、コメディからシリアスまで、変幻自在の演技で日本を代表する演技派女優として活躍した希林さんが静かに旅立った。
関係者によると、希林さんは15日午前2時45分、家族に見取られながら、静かに息を引き取った。葬儀は同30日に東京都港区南麻布の光林寺で営まれる。
今年8月13日に知人宅の外階段で転び、左大腿骨を骨折。娘の内田也哉子(42)に付き添われて病院に行き、同15日に足にチタンを入れる手術を受けた。也哉子の夫で俳優の本木雅弘(52)は同30日に容体を説明。「一時は危篤状態の場面もありましたが、無事に危機を回避した」と話していた。
2012年にがん体質であることを指す「全身がん」を本紙インタビューなどで告白。翌年2月の日本アカデミー賞では表彰式のテレビ中継で「全身がん」を改めて公表した。
毒舌で開けっぴろげな性格に見える希林さんを変えたのは、やはりがんだった。最初に襲ったのは乳がん。04年に見つかり、翌年右乳房を全摘手術した。その後、腸や副腎、脊椎などにも見つかり、治療は約20か所にも及んだ。
最初のがんから14年。人生観、死生観も変わった。「がんがありがたい」と思えるようになっていた。「私の場合、体に広がる全身がん。でもがんに感謝。経験してなければろくに『死』にも向き合わず、内田(裕也)さんのこともちゃんと理解しようと思わなかった」
最初のがんの術後が良くなく、苦しみ、独学でがんを猛勉強した。希林さんが選択したのが「体への負担が少ない」とされる放射線をピンポイントで照射する方法だった。「がんが見つかってもおっかなびっくりしない。出ればつぶせばいい。がんには必ず要因がある。生活習慣も見つめ直す。簡単に治らないからこそ、自分に客観的になれ、生き方がつましくなった」と語っていた。
がんだけではない。03年には左目の網膜剥離を発症し、役者にとっては致命的な失明宣告を受けたこともあった。一時は視界は真っ白で何も見えない状態に。しかし医師の勧めた手術に納得できず、拒んだ。しばらく様子を見ていると、少し視力が戻る奇跡が起きた。「人間には医師も理解できない不思議な自然治癒力があるのよ」が口グゼだった。
日本を代表する女優の一人でありながら、マネジャーなしでスケジュールも出演料も、すべて自分で管理し、決めていた。この理由も「社員を抱えると責任を感じる」と自身の病気が背景になっていた。「でも何の痛痒も感じない。一人で何ら困ったことはないわ」と答えていた。
夫のミュージシャン、内田裕也とは別居しながら暮らす独特の夫婦関係を続けた。夫が事件で世間を騒がせた時も「私は逃げ隠れするのが一番嫌だから」と率先してマスコミに対応し、自ら詳細を説明した。離れて暮らしながらも、心の中で夫を思い続けていた。
参照元 : スポーツ報知
樹木希林さんが死去 最期は自宅で家族に看取られて
2018/9/16(日) 16:43配信
数々の映画、ドラマ、CMで活躍した女優樹木希林(きき・きりん)さん(本名・内田啓子=うちだ・けいこ)が15日に都内の自宅で亡くなったことが16日、分かった。75歳だった。最期は家族に看取られながら息を引き取った。
5年前に全身のがんであることを明かし、先月13日には左大腿(だいたい)骨を骨折し入院中だった。夫はロックミュージシャン内田裕也(78)、長女内田也哉子(42)の夫は俳優本木雅弘(52)。
個性派女優で知られ、ドラマ「寺内貫太■(■は郎の旧字体)一家」「時間ですよ」、映画「万引き家族」など是枝裕和監督作品、CMなど、数多くの作品で知られた。歯に衣(きぬ)着せぬ発言でも人気だった。
参照元 : 日刊スポーツ
2018/9/16(日) 16:50配信
「全身がん」を公表していた女優の樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子)さんが15日に死去したことが16日、分かった。75歳だった。シリアスからコメディまでこなせる個性派俳優として活躍する一方、2012年に、がん体質であることを指す「全身がん」を公表。04年の乳がん発症以降、約20か所のがんと闘ってきたが、ついに帰らぬ人となった。
20代からおばあちゃんを演じ、コメディからシリアスまで、変幻自在の演技で日本を代表する演技派女優として活躍した希林さんが静かに旅立った。
関係者によると、希林さんは15日午前2時45分、家族に見取られながら、静かに息を引き取った。葬儀は同30日に東京都港区南麻布の光林寺で営まれる。
今年8月13日に知人宅の外階段で転び、左大腿骨を骨折。娘の内田也哉子(42)に付き添われて病院に行き、同15日に足にチタンを入れる手術を受けた。也哉子の夫で俳優の本木雅弘(52)は同30日に容体を説明。「一時は危篤状態の場面もありましたが、無事に危機を回避した」と話していた。
2012年にがん体質であることを指す「全身がん」を本紙インタビューなどで告白。翌年2月の日本アカデミー賞では表彰式のテレビ中継で「全身がん」を改めて公表した。
毒舌で開けっぴろげな性格に見える希林さんを変えたのは、やはりがんだった。最初に襲ったのは乳がん。04年に見つかり、翌年右乳房を全摘手術した。その後、腸や副腎、脊椎などにも見つかり、治療は約20か所にも及んだ。
最初のがんから14年。人生観、死生観も変わった。「がんがありがたい」と思えるようになっていた。「私の場合、体に広がる全身がん。でもがんに感謝。経験してなければろくに『死』にも向き合わず、内田(裕也)さんのこともちゃんと理解しようと思わなかった」
最初のがんの術後が良くなく、苦しみ、独学でがんを猛勉強した。希林さんが選択したのが「体への負担が少ない」とされる放射線をピンポイントで照射する方法だった。「がんが見つかってもおっかなびっくりしない。出ればつぶせばいい。がんには必ず要因がある。生活習慣も見つめ直す。簡単に治らないからこそ、自分に客観的になれ、生き方がつましくなった」と語っていた。
がんだけではない。03年には左目の網膜剥離を発症し、役者にとっては致命的な失明宣告を受けたこともあった。一時は視界は真っ白で何も見えない状態に。しかし医師の勧めた手術に納得できず、拒んだ。しばらく様子を見ていると、少し視力が戻る奇跡が起きた。「人間には医師も理解できない不思議な自然治癒力があるのよ」が口グゼだった。
日本を代表する女優の一人でありながら、マネジャーなしでスケジュールも出演料も、すべて自分で管理し、決めていた。この理由も「社員を抱えると責任を感じる」と自身の病気が背景になっていた。「でも何の痛痒も感じない。一人で何ら困ったことはないわ」と答えていた。
夫のミュージシャン、内田裕也とは別居しながら暮らす独特の夫婦関係を続けた。夫が事件で世間を騒がせた時も「私は逃げ隠れするのが一番嫌だから」と率先してマスコミに対応し、自ら詳細を説明した。離れて暮らしながらも、心の中で夫を思い続けていた。
参照元 : スポーツ報知
樹木希林さんが死去 最期は自宅で家族に看取られて
2018/9/16(日) 16:43配信
数々の映画、ドラマ、CMで活躍した女優樹木希林(きき・きりん)さん(本名・内田啓子=うちだ・けいこ)が15日に都内の自宅で亡くなったことが16日、分かった。75歳だった。最期は家族に看取られながら息を引き取った。
5年前に全身のがんであることを明かし、先月13日には左大腿(だいたい)骨を骨折し入院中だった。夫はロックミュージシャン内田裕也(78)、長女内田也哉子(42)の夫は俳優本木雅弘(52)。
個性派女優で知られ、ドラマ「寺内貫太■(■は郎の旧字体)一家」「時間ですよ」、映画「万引き家族」など是枝裕和監督作品、CMなど、数多くの作品で知られた。歯に衣(きぬ)着せぬ発言でも人気だった。
参照元 : 日刊スポーツ
【訃報】— 堂本剛ソロワークFUN♪ (@solo_work) 2018年9月16日
女優の樹木希林さん(75)が15日に死去|テレ朝news https://t.co/WWbTPUuGbJ
堂本剛さんとは「愛犬ロシナンテの災難(2001)」で共演、お二人の楽しい演技が思い起こされます。
謹んでご冥福をお祈り致します。
全身癌に侵されながら飄々と演技していた樹木さんが亡くなった。今年の出演映画は3本という。あの死生観は何処から出てきたのだろうか。ご冥福を祈る。— 永野勝美 (@naganokatumi) 2018年9月16日
女優・樹木希林さん、死去 75歳 生涯現役貫く 今年は出演映画3本公開(オリコン) - Yahoo!ニュース https://t.co/k2pzpx6USX @YahooNewsTopics
女優の樹木希林さんが死去 75歳 病気と壮絶な闘いを繰り広げ… (スポーツニッポン) - LINE NEWS https://t.co/NTURx7Bkvm— すぱーくん (@2664Shoi) 2018年9月16日
またひとり大スターが亡くなった(´;ω;`)大好きだったかたのお一人。樹木希林さんの言葉でどれだけ救われたか( 。゚Д゚。
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